整体、カイロプラクティックの森迫柔道整骨院 - 骨盤・脊椎矯正、腰痛、肩こり、ムチ打ちなど。 - 大阪府寝屋川市
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みなさんに必要な整体の知識

細胞分裂 聞け、単細胞!
まず、ヒトの細胞の数は「60兆個」と言われます。受精卵が何回分裂したら60兆個になるのでしょうか?1回の分裂で2倍になるとします。
それは、46回以上の分裂です。
10回の分裂で1,024個(約1万個)。20回の分裂で1,048,576個(約100万個)。30回の分裂で1,073,741,824個(約10億個)。40回の分裂で1,099,511,627,776(約1兆個)。
46回の分裂で、70,368,744,177,664個(約70兆個)となるのです。

この約70兆個の細胞は、アポトーシス(Apoptosis)と言う現象によって個体が発生する過程で、予めプログラムされた細胞の死(細胞の自滅)が起こるそうです。
例えばヒトの指が出来る時には、指の間の細胞が死ぬ事によって指が独立するのだそうです。
カエルの尾も、細胞死によって無くなるのでしょうね。
その為、60兆個の細胞が出来るためには、もっと多くの細胞が必要になると思われます。

つまり、生まれて来るまでに46回以上の細胞分裂があると考えられているのです。また、生まれてから一生の間に数十回の細胞分裂をすると言われています。

ヒトは水の袋?
ヒトの体は水で出来ています。体内の水分比率は、赤ちゃん80%、子供70%、成人60%、老人55%と言われています。
老化と共に、体内の水分比率が落ちて行くのですが、赤ちゃんの肌がプルプルしているのも、若い人の肌を「みずみずしい」と表現するのもこの為でしょう。

細胞は、タンパク質、核酸、糖質などの生体高分子と呼ばれるモノと、更に脂質や様々なイオンなどが複雑な構造で組合わされていますが、これらの諸要素を結び付けているのも水なのです。
水と言っても形態は変わっており、「原形質」と呼ばれるモノで、ドロドロとしたゼリー状をしています。
ゼリー状の中にタンパク質、核酸、糖質などが浮かんでいて、それらを細胞膜と言う皮膜で取囲んだモノが細胞なのです。

ヒトは、細胞が60兆個以上も集まって1つの体を構成し、更にその表面を皮膚の袋で包んだ「水の袋」なのです。

ヒトが受精して生まれる日数は、「十月十日(トツキトウカ)」と呼ばれるのは何故でしょうか?
「十月十日」は(30日×10ヶ月+10日)の計算と違いますか?
違います。十月十日は277日を意味するのです。
昔の1ヶ月は、旧暦(月の周期)の考えで、29.5305882日でした。
それを、かぞえ(0が、いきなり1から)で計算しますから、9倍が十月(トツキ)(約266日)になります。そして10日を加えると276日です。
母親の胎内に276日いて、翌日に出胎しますから、十月十日は277日になるのです。

大石凝眞素美(天保4年4月11日〜大正2年4月11日)と言うヒトは、「277」と言う数字を、「神様の数靈(カズタマ)」と呼びました。しかも「277」と言う数字は、60番目(東洋では元に戻る数字)の素数なのです。

ミトコンドリアの「母系遺伝」って何ですか?
1987年。オックスフォード大学のブライアン・サイクスと言うヒトは、ミトコンドリアDNAによる人類の系図に情熱を注ぎました。
ミトコンドリアは、ほとんどの細胞の中に含まれている、生体エネルギーを作り出す大切な小器官で、その中に体細胞の遺伝子とは異なる独自のDNAを持っています。

「母系遺伝」
1968年。ミトコンドリアの構造の中に、細胞の核が持っている遺伝子とは別の遺伝子が発見されました。
これをミトコンドリアDNAと呼びます。その後の研究で、ヒトを含めた大部分の動物で、ミトコンドリアDNAは「母系遺伝」する事が確認されたのでした。

体細胞には、ほとんど核があり、その中には遺伝情報がギッシリと詰まった染色体が含まれています。ヒトの場合は23対、46本の染色体があり、男性から23本、女性から23本受け継いだ遺伝情報が記録されているのだそうです。
男性の精子も20程度のミトコンドリアが存在しています。しかし女性の卵子と受精した後で、何故か精子の持つミトコンドリアは消滅し、元々卵子にあったミトコンドリアだけになるのです。

従って、私達の体内にある全てのミトコンドリアは、体細胞のDNAと違い、全て母親から受け継いだモノなのです。
あなたのミトコンドリアDNAは、母方の母から受け継いだモノであるし、その母も母方の母から受け継いでいるのですから、何代遡っても・・・

ミトコンドリアを伝えた先祖の女性は、たった1人に行き着くのではないでしょうか。

つまり私達は、生体エネルギーを作り出す小器官ミトコンドリアを「母系遺伝」し、「277日」の日数を母親の胎内で過ごしながら、「46回」以上の細胞分裂で「60兆の細胞」を得て生まれて来たのです。

すごいですね!

高島野十郎 蝋燭癒しの核心(The core of the healing) 整体の事実より、真実を・・・
<整体操法の詳しいデータ>
「手当て療法」とは、世界各地で見られる「手のひらを当てるだけで身体の不調を癒そう」とする事です。
聖書にも、手で触れる事による癒しと緩解が書かれています。(マルコ2章、マタイ9章、ルカ5章)
また中世では、王様が手を当てる事によって癒すと言う「ロイヤル・タッチ」があり、
シェークスピアの「マクベス」に、「哀れなモノ達が癒しを待っております。そのモノ達の病は、どんな医術にでもどうにもなりません。しかし王が御触りになると、そう言った感性を天が王の御手に授けられますので、病むモノ達は、たちまち緩解します。」とあります。
かつてはポラリティー(Polarity)が、近年ではセラピューティック・タッチ(Therapeutic・Touch)やREIKIが、アメリカを中心に世界的に脚光を浴びていますが、REIKIは日本の「臼井式レイキ療法」を基に、独自に発展を遂げたモノでありましょう。
日本では昭和初期に、「臼井式レイキ療法」から別れた「江口手のひら療治」を中心に、爆発的なブームになった事があり、西式触手療法や野口整体の愉気も、手当て療法の一種です。
<整体操法の歴史>
田中守平と言うヒトは21歳の時、明治38(1905)年2月。「呼吸と食事。これこそが生命の根本要因では無いのか?肉体と精神の結合体であるヒトの生命の本質を掴むには、この2つを統制するしか無い。」と、権現山刈安神社にて90日に及ぶ断食を敢行し、遠隔知覚など様々な超常現象を体験しました。断食で「靈子理論」を悟り、そして山を降りた彼は、リューマチに苦しむ夫人、歯痛に苦しむ少女に手で触れただけで癒してしまいます。
田中守平が24歳の時、明治41(1908)年。太靈道と言う団体を創設し、「靈子術」と言う手当て療法を始めます。
「安心立命」
臼井甕男と言うヒトは56歳の時、黄檗宗の禅の師、慧海僧正55歳に、「これからどのように修業して行けば、真の悟りが得られるのでしょう?」と相談したところ、「それなら一度死んで御覧。」と返されました。そして、「自分の人生も、最早これまで。」と言う覚悟を決めます。
大正11(1922)年3月。鞍馬山に籠もって断食を始めます。「修行の為より死を覚悟していた。」と言う事です。
断食に入り21日目の真夜中、脳の中心部あたりに落雷を受けたような強烈な衝撃を感じ、そのまま意識不明に陥りました。数時間後に気が付くと、空は白々と明け始め、その目覚めは今まで感じた事の無い実に心身爽快な気分に満ちていました。
強烈な萬象のレイキが心身を貫き、萬象のレイキと自己のレイキが共鳴し、「安心立命」の境地に達成し、求めていた悟りを確信したそうです。
悟りを得られた事に喜び勇んで、鞍馬山を降りる途中に石に躓き、足の爪が剥がれ、思わず手を当てたところ、痛みは去り血が止まり、そして即座に緩解します!
山の麓の小さな茶店で、断食の後なので腹一杯食べてオヤジがビックリしました。茶店の孫娘が酷い虫歯で顔が腫れていて、彼が頬に手を当てるとたちまち癒されます!
臼井甕男が57歳の時、大正11(1922)年4月。「このレイキ能力を家族で独占するよりも、広く世の中の人に授けて喜びを共有する方が良い。」と言われ、レイキ療法の教義と指導体系を作り、東京青山にて「臼井式レイキ療法学会」を創設しました。
心身を病む人達を、レイキ療法で緩解すると共に、希望するヒトには公開伝授を行ってレイキ能力を与えました。
そして臼井甕男が58歳の時、大正12(1923)年9月1日午前11時58分32秒に起きた、関東大震災に苦しんでいる怪我人や病人達を見て、深く憂慮し、毎日市中を回ってレイキで癒したそうです。

ちょうど同じ頃、野口晴哉と言うヒトも12歳の時、関東大震災に被災し、傷付き死んで行く夥しい人々の姿を目の当たりにします。東京は上下水道が壊滅され、赤痢やチフスが急激な勢いで蔓延しました。晴哉少年は下痢などに苦しむヒトに手を当てて次々に癒し、多くのヒトを緩解しました。以後これを天職と自覚し、古今東西の医学書及び健康法を独自に探求し、後に靈術家の松本道別に師事します。

東京帝国大学出身の江口俊博と言うヒトは52歳の時、大正14(1925)年。田村と言うご婦人の紹介で入門料50円を払い、臼井式レイキ療法学会に入門しました。
江口俊博が54歳の時、昭和2(1927)年。臼井式レイキ療法学会を2年で退会し、「手のひら療治研究会」を立ち上げると、すぐに数百人の入門者を迎えるなど、充分な修業期間が無いまま膨大な人達に普及を始めてしまったので、「手のひら療治」の教義と指導体系が確立されずに発進しました。

その頃、野口晴哉14歳は大正14(1925)年。武州御岳の古神道系靈術家、松本道別53歳の許で瀧行や気合いの修行を行い、靈術師となります。太靈道に属した桑田欣児38歳から「自動法」も習得し、後に「活元運動」と呼び名を改め大きく広めます。晴哉少年は、松本道別の技術・思想・教義・指導体系を元に、臼井甕男が「レイキ」と呼ぶ「手当て療法」を、気を輸る事として「輸気」と呼び操法に応用し、後に「愉気」と呼び名を改め大きく広めます。
臼井甕男の「臼井式レイキ療法」、そして江口俊博の「手のひら療治」と並び、松本道別の著書「靈学講座」では、「相手の患部に片手又は両手の手のひらを当てて気を輸り込む事で、輸気の『輸』はオクル、『気』は人体ラジウムを意味する。」と述べています。

野口晴哉15歳の時、大正15(1926)年4月。「万人をして自然健康を獲得せしめ、社会のあらゆる行き詰まりを打開するのを鍵鑰を与えん。」と言う「全生」の主張に基づき、「自然健康保持会」(会員数142名)を設立し、入谷に靈術道場を開き、門人を育て、靈術で中心的役割を果たしながら、古今東西の操法や自らの研究から、後に整体操法を纏め上げます。
(靈術とは、明治末から昭和初期にかけて日本で大流行した一群の民間療法の事で、整体などの療術も系譜的に付かず離れずの関係にありました。)
17歳の頃
昭和初期の靈療術師達。
@ 太靈道靈子術(太靈道・田中守平)
A レイキ療法(臼井式レイキ療法学会・臼井甕男)
B 人体ラジウム療法(靈学道場・松本道別)
C 洗心流レイキ療法(洗心会・松原皎月)
D 野口法(自然健康保持会・野口晴哉)
E 富田流手あて療法(手あて療法会・富田魁二)
F 靈学療法(靈光洞・関昌祐)
G 清水式精神統一療法(修靈教化団・清水英範)
H 順性療法(順性学研究会・伊東淙山泉)
I 全能精気療法(皇国修靈会・溝田象堂)
J 高木式断食靈療術(靈道救世会・高木秀輔)
K 大氣養法(帝国自覚会・三田善靖)
L 病元全療術(病元全療院・澤田進幸)
M 生道靈掌術(生道学会・大山靈泉)
N 森式触手療法(東京心靈学協会・森美文)
O 小野式血液循環療法(修靈会・小野乃布子)
野口晴哉29歳の時、昭和15(1940)年。戦争に於ける召集令状の機運が高まり、「出征し、戦死してしまえば、長年培ったこの伝承療術が跡絶えてしまう。」と差し迫った事情として、全国から療術家が集結し、自らが苦労して身に着けた一子相伝の伝承が預けられたそうです。
野口晴哉32歳の時、昭和18(1943)年12月。整体操法制定委員会を設立し、操法理念の確立、及び諸療術の体系化を図ります。
野口晴哉を委員長とする18名によって、昭和19(1944)年7月に整体操法の基本形を創案しました。
@ 野口晴哉
A 梶間良太郎(脊髄反射療法)
B 佐々木光堂(スポンディロセラピー)
C 山田信一(オステオパシー)
D 小川平五郎(オステオパシー)
E 松本茂(カイロプラクティック)
F 伊藤緑光(カイロプラクティック)
G 山上恵也(カイロプラクティック)
H 松野恵造(血液循環療法)
I 宮廻清二(指圧末梢療法)
J 林芳樹(健体術)
K 柴田和通(手足根本療法)
L 野中豪策(アソカ療法)
M 山下祐利(紅療法)
その他に、美濟津貴也(圧迫療法)他3名。
しかしこれは、門外不出として公開しなかったのか?或いは公開しても採用しなかったのか?
野口晴哉の技術・思想・教義・指導体系が中心となる基盤であったからこそ、整体操法の基本形の創案が、単なる寄せ集めに堕する事無く、理論的にも統一された操法と成り得たのでしょう。
野口晴哉36歳の時、昭和22(1947)年1月。独自の感受性理論を原理とする整体操法協会を設立。
この時、野口晴哉著 整体操法読本は完成します!
沢庵和尚
「型破り」と「形無し」
その約52年前、1895(明治28)年。D・D・パーマーが50歳の時、カイロプラクティックを創始し、「背骨の異常と症状」を研究し、「イネイトインテリジェンス」を発見し、「イネイトインテリジェンスが神経系を通り、カラダの全てに伝達されている。」とし、そして「病はイネイトインテリジェンスが障害で妨げられた時に生じる。」と考え、「イネイトインテリジェンスの障害を取り除くと癒され緩解する。」と発表しています。

「もっと頑張れば?」
カイロプラクティック創始から約50年を経た昭和19(1944)年7月。整体操法の基本形を創案した時点で、日本のカイロプラクター松本茂、伊藤緑光、山上恵也の3人が技術の提供をしたのですが、野口晴哉は、カイロプラクティックをあまり深く理解していないフシがあり、その整体操法を伝承したと主張するモノどもは、尚更わかっていません。
「背骨がズレているのも意味があるから、敢えて治さない。」との論法を使う操法家に質問ですが、「背骨のズレが原因で症状を発する」場合も治せないのですか?
「筋肉が硬くなっているのも意味があるから、敢えてホグさない。」との論法を使う操法家に質問ですが、「筋肉が硬いので循環が悪い症状」の場合もホグせないのですか?それは逃げ口上に聞こえますな。操法創案には、松野恵造(血液循環療法)、宮廻清二(指圧末梢療法)の2人が技術の提供をしていますけど。(詳しくは、上項の昭和19年)
ナチュラルな操法(手による背骨の操法)は、D・D・パーマーが医聖ヒポクラテスに因む古代ギリシャの言葉、「手技療法」カイロプラクティック(Chiroprctic)と名乗るように、背骨・骨盤の操法理論であると同時に、背骨・骨盤を読む技術であります。(詳しくは、カイロプラクティックのデータ)
背骨・骨盤を完璧に操法出来ないモノは、「背骨を語る事なかれ!」と言いたい。
自分に都合の良い、ラクな操法だけを伝承して、「伝承者と名乗る事なかれ!」と、本当に言いたい。

「型破り」と「形無し」の違いは、「型破り」とは「型のあるモノ」が、卓越した技量で、敢えて型を破るモノの事で、「形無し」とは「型の無いモノ」が破るからで、「形無し」ですな。(^_^)v

参考文献 昭和22年発行 野口晴哉著 整体操法読本(全4巻)