森迫柔道整骨院

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キリスト


『病者を扶ける心得』
〔天正二十(1592)年〕


バウチズモ(Baptismo)の授け樣と病者にペニテンシヤ(Penitentia)を勧むる教化の事

それ、病者のコンヒサン(Confissan)を聞き、或いは貴きバウチズモを授くる為に、伴天連在り合い給はざる事多き故に、誰にてもあれ、ヒトのアニマ(Anima)を扶かる位と為す事は、並び無き功力と云ひ、その導師となる事もまた、深きデウスの御恩なれば、かの一大事の勤め樣を些か記すなり。

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故に略して、ヱスキリツウラ(Escritura)と學者の諸々の出所をば、こゝに載せず。

されば人間の罪科を赦し給はん爲に、御あるじゼズキリシト(Jesu Christo)、二つの道を定め給ふなり。

第一には、バウチズモのサカラメント(Sacramento)の事。

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第二には、ペニテンシヤ。

是なり。

第一、貴きバウチズモの事

この貴きバウチズモは、一世の中に一度より他、授かる事適わず。
一切のゼンチヨ(Gentios)、老若男女、またはキリシタン(Christan)の父母より生まるゝ子供たりと雖も、オリジナル(Original)科とて、親より受け続く科有り。

成人しては、オリジナル科の上に、私に犯すベニアル(Venial)か、モルタル(Mortal)かの科有るによって、後生を扶ける為には、みなバウチズモを授からずんば、有るべからず。

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その故は、オリジナル科ばかりを受けるいとけなき者も、バウチズモを授からずして死すれば、苦も無く楽も無きリンボ(Limbo)と云ひて、何時までもデウスを拝み奉る事無き処へ堕つるなり。

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また成人して後、モルタルと云ふ重き罪を犯す者は、インヘルノ(Inferno)に於いて、その科の軽重(きやうぢう)に随ひて、終はる事無き苦しみを受けるなり。

インヘルノ(地獄)


然り乍ら、バウチズモを受け奉る程の者は、科の御赦しを蒙るなり。
その後、科無くして死せば、障り無くパライゾ(Paradiso)の快楽に至るべし。

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バウチズモには、受手と授手の二人在り。まづ、授手の手は持つべき事を表して、次に授かる者の保つべき事を表すべし。第一、授手は伴天連たるべし。

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但し時に当たって、伴天連在り遭ゐ給はずして、その授かるべき者、或いは煩い、或いは死する程の危うきに及び、または無病なりとも障り有りて、やがて伴天連に遭ひ奉る事適はざらん者には男女によらず、在り遭いたるヒトとして授くる事適うべきなり。

但しなるべくは、女よりも夫の授くべき事本意なり。

授け樣に、三つの心得有り。

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一には、授かる者の頭に少し水を掛くべき事。この水は井の許にてもあれ、川にてもあれ、また海の潮にてもあれ、苦しからず。

二には、水を頭に掛くる内に、この文を唱ゆべき事。

†ヱゴ テ バウチイゾ インノウミネ パアチリス ヱツ ヒイリイ ヱツ スピリツス サンチ アメン。

自然、これを申す事適はざるヒトは、是の如く唱へて授くべし。

それがし。デウスパアデレ(Deus Padre)と、ヒイリヨ(Filho)と、スピリツサント(Spiritu Sancto)の御名を以て汝を洗ひ奉るなり。アメン(Amen)。

こゝに心得有り。この文を唱へ果たして後に水を掛けては、バウチズモにならず。
または水を掛け終わって後に文を唱へても、バウチズモにあらず。故にコトバと水と同じ時に授くべし。
責めては、文を唱へ果たさぬ内に水を掛け、そむるか、水を掛け果たさぬ内に文を唱へ始むるかすべし。
もしこの文を確かに憶えずは、唱へ違えまじき為に書き付たる文を前に置き、読みて授くべきなり。

三には、バウチズモを授くるとのココロあてを以て、授くべき事ココロあてと云ふは、ヱケレジヤ(Igreja)の御定めの如く、そのヒトをキリシタンに成すと思う事なり。

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右三ヶ条を授け終わって、そのヒト死せば、即ちグロウリヤ(Gloria)に至るなり。

第二、バウチズモを受け奉る者は、その年八つ九つまでのいとけなき者ならば、男女によらず未だ達したる分別無きによって、談義を聞かするに及ばず授くべきなり。
但しその年頃にても、おとなしき知恵有りと見れば、大方にヒイデス(Fides)の事を教ゆべきなり。
また、成人の者ならば男女によらず、バウチズモを授けざる前にカテキズモ(Catechismo)の談義を聞かせ、ヒイデスの理を教うべし。科を悲しませ、後悔させ、今より後、デウス(Deus)の御掟を保つべしと思ひ定めさする事肝要なり。

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もしバウチズモを授かるべきヒト、死する程の危うき事在りて、談義を説くヒト無きに於ゐては、この末の理を読みて、聞かするか、語るかすべし。

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もしまた、その暇も無き程の危うき最期と見ゆる時は、ただ扶かる為にキリシタンに成りたきと落し付け、神仏を捨て、このバウチズモを受け奉らば、眞の神、実のヒトにて御坐すゼズキリシトの御功力を以て扶かるべきと、眞実に落し付け、今までの科を後悔致すとさへ云はば、授くべきなり。