森迫柔道整骨院

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整体とは

整体とは

 

カイロプラクティックアメリカ発祥の操法であるのに対し、整体日本で生まれた「武道活法の操法」と云えるでしょう。

日本の古武道の中に「整躰」と称する操法が存在します。

今の様な操法体系になって来たのは、大正時代に入ってからです。

明治四十四(1911)年、内務省(今の厚生労働省)が日本の伝統医学であった按摩術を免許制にし、次いで大正九(1920)年にマッサージに対する取り締まりを行いました。

この取り締まりに対し当時の療術家は反発し、その頃日本に伝わった、カイロプラクティックやオステオパシーなどの操法を導入し、「漢方医学と武道活法の醫学」の考え方を合わせて統合した結果に誕生したのが、「整体」と云う形態です。

昭和十八(1943)年二月には、整体操法制定委員会が設立されましたが、もう現在は眞髄がバラバラに伝わっています。

 

整体も、カイロプラクティックの様な科学的・物理的手法と、経絡理論・内臓体壁反射などの理論の混合形であるのは、そう云った背景があるからです。

 

 

例えば肩凝りは肩凝りでも、

1 関節から来るモノ
2 日常労作で骨格のバランスから来るモノ
3 内蔵機能の低下から来るモノ
4 眼精疲労から来るモノ
5 歯科から来るモノ


など、色々な要因から肩凝りは起こるのです。

「整骨整体」とは、読んだそのまま、カラダのバランスを整えて、魂魄(たましい 脳の持つイネイト・フォース)を高める操法です。

あなたは、筋肉や骨のバランスが崩れる事によって、肩凝り・腰痛・その他の障害が起こると思いませんか?

また、内蔵の機能低下により、筋肉や骨のバランスが崩れる事もあり得ます。

それらの「機能を正常化して行こう!」と云うのが整体なのです。

我らが本来持っている、たましい(脳の持つイネイト・フォース)を高めるか、正常化する整体を受ける事によって、効果はより大きくなって行きます。

また、日頃の姿勢、カラダの使い方を意識する事を指導し、色々な障害の予防に従事しています。

 

 

整体とは

 

<整体と愉気と活元運動のデータ>

「愉気」の原型と云われる「輸気」は、松本道別が創設しました。

野口整体

「活元運動」の原型と云われる「自動法」は、桑田欣児が創設しました。

野口整体

靈術を近代的に体系化しようとしたのが松本道別とされ、弟子が野口晴哉です。

野口整体

大正十五(1926)年。野口晴哉は、僅か十五歳でしたが「自然健康保持会」を設立し、入谷に道場を開き、門人を育てます。

靈術界で中心的役割を果たしながら、古今東西の操法や研究から、整体操法を纏め上げました。

当時の野口晴哉は、松本道別五十四歳の「輸気法」、桑田欣児三十九歳の「自動法」を採用し、それらを自らの操法に採り入れます。

野口整体が世間的な「整体」と違う点は、その実態は「愉気」と称する「手当て療法」をその核とし、野口整体で手当て療法の事を「愉気」と呼ぶのは、松本道別の「輸気」に由来するのです。
 

愉気とは
松本道別(明治五(1872)年~昭和十(1935)年)は伊勢出身で、著書「靈学講座」で知られ、大正期に活躍した靈術家。人体ラジウム療法(後に人体放射線療法)を提唱し、手当て療法を「輸気」と呼びました。
 

活元運動とは
日本では「大宝令」(大宝元(701)年)で、「御魂振り(みたまふり)」とか「布留部(ふるべ)」と呼びました。桑田欣児(明治二十(1887)年~昭和四十六(1971)年)は徳島出身で、幼くして一家は北海道河西郡芽室町に移住、しかし、父のヤマイで一家は零落します。この御魂振りや布留部を独自の操法として、「自動法」と呼び、松原皎月は「自然運動法」と呼び、松本道別は「靈動法」と呼び、野口晴哉は「活元運動」と呼びました。(整体の誕生)


参考文献。
昭和十六(1941)年発行 野口晴哉著 療病談義(全三巻)
昭和二十二(1947)年発行 野口晴哉著 整体操法読本(全四巻)
どちらも幻の本!(^_^)v




 

<愉氣法の詳しいデータ>
「愉氣」をマスターする為に、「手当ての癒し」の歴史を古い順から述べましょう。


1.宝永三(1706)年、白隠慧鶴(貞享三(1686)年~明和六(1769)年)と云うヒトは二十歳の時、禅の修行で禅病(統合失調症)に苦しみ、京都白川の仙人・白幽子(文禄元(1592)年~宝永六(1709)年)が棲む岩窟を訪れ、「内観法」と「軟酥法」を伝授されます。白隠は「夜船閑話」、「遠羅天釜」に、その顛末と白幽子から伝えられた「内観法」と「軟酥法」の内容を記しています。

2.寛延三(1750)年、賀川玄悦(元禄十三(1700)年~安永六(1777)年)と云うヒトは五十歳の時、出産が軽く済む様に、「妊婦に一ヶ月に六~七回程、手当ての癒しを施す事で出産の際に胎児が卵膜を破るチカラを付ける。その為、安産が出来、子宮も健全になる。」と、「産科七法」に記します。ドイツのシーボルトがこれに敬服し、翻訳を出し世界に紹介しました。

野口整体

3.天保元(1830)年、江戸末期、白幽子が白隠禅師に伝えた「軟酥法」の応用で、患部に手を当てて「軟酥が患部に染み渡る」と云う癒しが起こります。

4.明治三十八(1905)年二月、田中守平(明治十七(1884)年~昭和三(1928)年)と云うヒトは二十一歳の時、権現山刈安神社にて九十日に及ぶ断食修行を敢行し、遠隔知覚など様々な超常現象を体験した結果、「靈子理論」を悟り、リューマチに苦しむ夫人や歯痛に苦しむ少女に手を当てて癒しています。

5.大正十一(1922)年三月、臼井甕男(慶応元(1865)年~大正十五(1926)年)と云うヒトは五十六歳の時、鞍馬山に籠もって断食修行を始め、二十一日目の真夜中、脳の中心部辺りに落雷を受けた様な強烈な衝撃を感じ、強烈な萬象のレイキがココロとカラダを貫き、萬象のレイキと自己のレイキが共鳴し、近くの茶屋の主人の孫娘が虫歯で顔が腫れているのを手を当てて癒しています。

6.大正十三(1924)年、松本道別(明治五(1872)年~昭和十(1935)年)と云うヒトは四十二歳の時、「人體ラヂウム」と呼んで「輸氣」を始めます。

7.大正十五(1926)年四月、野口晴哉(明治四十四(1911)年~昭和五十一(1976)年)と云うヒトは十五歳の時、靈学道場・松本道別を経て「自然健康保持会」を設立し、「愉氣」を始めます。

8.昭和二(1927)年、江口俊博(明治六(1873)年・~昭和二十一(1946)年)と云うヒトは五十四歳の時、臼井甕男の「臼井式靈氣療法学会」を退会し、「手のひら療治」として全国に普及しました。

昭和初期の靈療術師ら。

① 太靈道靈子術(太靈道・田中守平)
② レイキ療法(臼井式レイキ療法学会・臼井甕男)
③ 人體ラヂウム療法(靈学道場・松本道別)
④ 洗心流レイキ療法(洗心会・松原皎月)
⑤ 野口法(自然健康保持会・野口晴哉)
⑥ 富田流手あて療法(手あて療法会・富田魁二)
⑦ 靈学療法(靈光洞・関昌祐)
⑧ 清水式精神統一療法(修靈教化団・清水英範)
⑨ 順性療法(順性学研究会・伊東淙山泉)
⑩ 全能精気療法(皇国修靈会・溝田象堂)
⑪ 高木式断食靈療術(靈道救世会・高木秀輔)
⑫ 大氣養法(帝国自覚会・三田善靖)
⑬ 病元全療術(病元全療院・澤田進幸)
⑭ 生道靈掌術(生道学会・大山靈泉)
⑮ 森式触手療法(東京心靈学協会・森美文)
⑯ 小野式血液循環療法(修靈会・小野乃布子)

昭和十五(1940)年、野口晴哉二十九歳の時。戦争に於ける召集令状の機運が高まり、「出征し、戦死してしまえば、長年培ったこの伝承療術が跡絶えてしまう」。と差し迫った事情として、全国から療術家が集結し、自らが苦労して身に付けた一子相伝の伝承が預けられたそうです。

昭和十八(1943)年十二月、野口晴哉三十二歳の時。整体操法制定委員会を設立し、操法理念の確立、及び諸療術の体系化を図ります。

昭和十九(1944)年七月。野口晴哉三十三歳を委員長とする十八名によって、整体操法の基本形を創案しました。

① 野口晴哉
② 梶間良太郎(脊髄反射療法)
③ 佐々木光堂(スポンディロセラピー)
④ 山田信一(オステオパシー)
⑤ 小川平五郎(オステオパシー)
⑥ 松本茂(カイロプラクティック)
⑦ 伊藤緑光(カイロプラクティック)
⑧ 山上恵也(カイロプラクティック)
⑨ 松野恵造(血液循環療法)
⑩ 宮廻清二(指圧末梢療法)
⑪ 林芳樹(健体術)
⑫ 柴田和通(手足根本療法)
⑬ 野中豪策(アソカ療法)
⑭ 山下祐利(紅療法)

その他に、美濟津貴也(圧迫療法)他三名。
しかしこれは、門外不出として公開しなかったのか?或いは公開しても採用しなかったのか?
野口晴哉のワザ・思想・教義・指導体系が中心となる基盤であったからこそ、整体操法の基本形の創案が、単なる寄せ集めに堕する事無く、理論的にも統一された操法と成り得たのでしょう。
昭和二十二(1947)年一月、野口晴哉三十六歳の時。独自の感受性理論を原理とする整体操法協会を設立。
この時、野口晴哉著『整体操法読本』は完成します!

 

「形破り」と「形無し」

その約五十二年前、明治二十八(1895)年、D・D・パーマーが五十歳の時。カイロプラクティックを創始し、「背骨の異常と症状」を研究し、「イネイトインテリジェンス」を発見し、「イネイトインテリジェンスが神経系を通り、カラダの全てに伝達されている」。とし、そして「ヤマイは、イネイトインテリジェンスが障害で妨げられた時に生じる」。と考え、「イネイトインテリジェンスの障害を取り除くと癒され緩解する」。と発表しています。


もっと頑張れば?

カイロプラクティック創始から約五十年を経た昭和十九(1944)年七月。整体操法の基本形を創案した時点で、日本のカイロプラクター松本茂、伊藤緑光、山上恵也の三人がワザの提供をしたのですが、整体操法はカイロプラクティックをあまり深く理解していないフシがあり、その整体操法を伝承したと主張する方々は、尚更わかっていません。

「背骨がズレているのも意味があるから、敢えて直さない」。との論法を使う操法家に質問ですが、「背骨のズレが原因で症状を発する場合」も直せないのですか?
「筋肉が硬くなっているのも意味があるから、敢えて解さない」。との論法を使う操法家に質問ですが、「筋肉が硬いので循環が悪い症状の場合」も解せないのですか?

それは逃げ口上に聞こえますな。
操法創案には、松野恵造(血液循環療法)、宮廻清二(指圧末梢療法)の二人がワザの提供をしていますけど。(詳しくは上項の昭和十九(1944)年)

ナチュラルな操法(手による背骨の操法)は、D・D・パーマーが医聖・ヒポクラテスに因む古代ギリシャのコトバ、「手技療法」カイロプラクティック(Chiroprctic)と名乗る様に、背骨・骨盤の操法理論であると同時に、背骨・骨盤を読むワザであります。(詳しくは、カイロプラクティックのデータ)

背骨・骨盤を完璧に操法出来ない者は、「背骨を語る事なかれ!」と言いたい。
自分に都合の良い楽な操法だけを伝承して、「伝承者と名乗る事なかれ!」と、本当に言いたい。

「型破り」と「形無し」の違いは、「型破り」とは「型のある者」が卓越した技量で、敢えて型を破る者の事で、「形無し」とは「型の無い者」が破るからで、「形無し」ですな。

参考文献 昭和二十二(1947)年発行 野口晴哉著 整体操法読本(全四巻)