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第六 ケレド、並びにヒイデスのアルチイゴの事

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キリスト

弟:右に早良く物を頼み奉る樣を教え給へば、今はまた、確かに信じ奉る道を示し給へ。
師:ケレドと、それに込もるヒイデスのアルチイゴを知る事なり。今これを教ゆべし。

ケレドとは、「眞に信じ奉る。萬事叶ひ大地を創り給ふデウスパアデレを。また、その御独り子。我らが御あるじゼズキリシトを。これ即ちスピリツサントの御奇特を以て宿され給ひて、ビルゼンマリヤより生れ給ふ。†ポンシヨピラト(ユダヤ第五代総督ポンティウスピラトゥス)が下に於ゐて呵責を受け堪え、クルスに架けられ死に給ひて、御棺に納められ給ふ。大地の底へ下り給ひ、三日目に蘇り給ふ。天に上り給ひ、萬事叶ひ給ふデウスパアデレの御右に備わり給ふ。それより生死のヒトを糺し給はん爲に天下り給ふべし。スピリツサントと†カトウリカ(普遍)にて御坐ますサンタヱケレジヤを眞に信じ奉る。†サントス(聖人達)みな通用し給ふ事を。科の御赦しを。肉体蘇るべき事を。終はり無き君を眞に信じ奉る。アメン。」

弟:只今のケレドとは何事ぞ。
師:ヒイデスの肝心の條々を信じ奉ると、祈らはす文なり。

弟:ケレドは誰人の作り給ふぞや。
師:御あるじゼズキリシトの†アポウストロ(使徒)達、スピリツサンチ(聖霊達)の御導きを以て、一所に集まり給ひて、御あるじゼズキリシトの御口より直に聞き奉られたる旨を連ね給ふものなり。

キリスト


弟:何の爲に連ね給ふぞ。
師:ヒイデスに受け奉るべき條々を、我らに教え給はん爲なり。

弟:ヒイデスとは何事ぞ。
師:デウス、我らに告げ報せ給ふほどの事を、サンタヱケレジヤの示し給ふ如く、堅固に信じ奉る樣にデウス、キリシタンのアニマに與へ下さるゝ†ナツウラ(自然)を越へたる御恩の光なり。

キリスト


弟:デウス告げ給ふとは何事ぞや。
師:サンタヱケレジヤより、信じ奉れと表し給ふほどの理、中にもケレドに込もるヒイデスのアルチイゴ、即ちそれなり。

弟:ケレドに込もるヒイデスのアルチイゴは何ヶ條ぞ。
師:これを連ね給ふアポウストロ十二人なる如く、その數も十二ヶ條なり。また、これをつぶさに分けて、十四のアルチイゴス(複数の箇条)と數ゆる事も有り。

七つは†ヂビニダアデ(神)の御所に当たり、また、七つはゼズキリシトのヒトにて御坐ます御所に当たり給ふなり。然りと雖も、こゝにはケレドを教ゆるが故に、十二ヶ條に積もりて表すべし。

第一には、天地を御創り為されたる、萬事叶ひ給ふデウスパアデレを信じ奉る事。
第二、その御独り子、我らが御あるじゼズキリシトを信じ奉る事。
第三、スピリツサントの御奇特を以て宿され給ひ、ビルゼンマリヤより生れ給ふ事。
第四、ポンシヨピラトが下に於ゐて呵責を受け堪え給ひ、クルスに架けられ死し給ひて、御棺に納められ給ふ事。
第五、大地の底に下り給ひ、三日目に蘇り給ふ事。
第六、天に上り給ひ、萬事叶ひ給ふデウスパアデレの御右に備わり給ふ事。
第七、生死のヒトを糺し極め給はん爲に、天より下り給ふべき事。
第八、スピリツサントとカトウリカなる、サンタヱケレジヤを信じ奉る事。
第九、サントスら通用し給ふ事。
第十、科の御赦しを信じ奉る事。
第十一、肉体の蘇るべき事。
第十二、終はり無き一命を信じ奉る事。是なり。

弟:最初のアルチイゴ、萬事叶ひ給ひ、天地を創り給ふデウスパアデレを信じ奉るとは何たるココロぞ。
師:眞のデウスは御一體の他、御坐まさず。これ即ちパアデレ(父)、ヒイリヨ、スピリツサントにて御坐ます事を、各々キリシタン弁え信じ奉らで叶はざる事なり。三のペルサウナにて御坐ますと雖も、ただ御一體のデウスなり。このアルチイゴには三の内、第一のペルサウナにて御坐ます、デウスパアデレの御事を沙汰し奉るなり。

キリスト


弟:デウス、三のペルサウナにて御坐まし乍ら、御一體なりと云へる理は分別し難し。
師:それは、†チリンダアデ(三位一体)のミステリヨとて、我らがヒイデスの題目の内にては、極意最上の高き理なり。その故は、デウスは無量廣大に御坐まし、我らが知恵は僅かに限り有る事なれば、分別には及ばず。例え別歟に及ばずと雖も、デウスにて御坐ます、御あるじゼズキリシト、直に示し給ふ上は、眞に信じ奉らずして叶はざる儀なり。

弟:この儀を良く分別する為に譬えは無きや。
師:譬え有り。我らがアニマはただ一體にて在り乍ら、

†メモウリヤ(記憶)、†ヱンテンヂメント(聡明)、†ボンダアデ、三つの†ポテンシヤ(能力)有る如く、デウス御一體にて御坐まし乍ら、パアデレ、ヒイリヨ、スピリツサント、三のペルサウナにて御坐ますなり。

弟:相残るコトバ、天地の御創り為されてにて御坐ますとは何たる事ぞ。
師:そのコトバのココロは、デウス、萬事叶ひ給ふによって、天地萬象を無き処より創り出し給ひ、御身のグロウリヤと、我らが徳の爲に育て修め給ふと申すココロなり。

弟:御親デウス、無き処より萬事を在らせ給ふと有る事を分別せず。その故は、御創りの物はみな、御身の御智慧御分別より出し給ふと見ゆるなり。然る時んば、無き処より創り給ふとは如何に。
師:この普請を開く爲に一の心得肝要なり。それと云ふは、デウスの御分別の内には御創りの物は一も無しと雖も、夫々の諸相込もり給ふなり。その諸相を、本語に†イデア(客観的な存在)と云ふなり。このイデアは作の物にあらず。ただデウスと同體なり。然るにデウスは、萬象を創り給ふ時、御身の御分別に持ち給ふイデアに發して創り給ふなり。それによって御創りの物は、御内證より出し給ふ事にはあらず。ただ無き処より創り給ふなり。その故は、創り給はん爲に道具も下地も種も無くして、ただ「アレ」と思し召すばかりを以て創り給ふなり。

例えば大工は、家を建てんとする時、まづその指図を我が分別の内に持ち、それに應じてその家を造るなり。されば他に造る家は、分別の内の指図にはあらず。
その如くデウス、御分別の内に持ち給ふ御創りの物のイデアに應じて創り給ふと雖も、御創りの物は、そのイデアにはあらず。ただ萬事叶ひ給ふ御碗力を以て、無き処より創り給ふなり。

キリスト


弟:それは、無き処より創り給ふと云ふべきにはあらず。却って御身の尊躰より創り給ふとこそ見えたれ。御分別の内に持ち給ふ指図より創り給へばなり。
師:右の理を分別有るに於ゐては、今の普請は明らかに開くべし。その故は右の譬えに申せし如く、大工は家の指図に應じて家を造ると雖も、他に出來る家は大工の體にはあらず。また、その大工も、材木無くして「アレ」と思うばかりを以て家を造る事適うに於ゐては、眞にその家は無き処より造りたると云ふべし。その如く、デウスは創の物を御身の指図に應じて創り給ふと雖も、その御創りの物は尊躰にはあらず。また、デウスは、†インヒニト(無限)と申し奉りて、萬事叶ひ給ふ尊躰にて御坐ませば、萬物を創り給はん爲に、下地種道具なども要らずして創り給ふが故に、無き処より創り給ふと云ふなり。また、御創りの物は限り有る物なり。故にデウスの尊躰とは、天地雲泥の差別と云ひても尚余り有り。

弟:右には早、デウスと御創りの物の差別を承りぬ。今は創の物、何れも互ゐに一體か別體かと云ふ事を表し給へ。
師:創の物は、何れも別體なり。その故は、デウスより創り給ふ時、夫々に應じたる赫々(かつかく)のナツウラを與へ給へばなり。その證據は、創の物に現るゝ赫々の生得なり。然るに石は馬牛に在らず。他もこれに準ず。色相有る物は、四大より我が得の物なるによって、†マテリヤ(唯物)と云ふ事は一類なれども、正體は赫々なり。その故は、創の物はマテリヤばかりを以て創られず、†ホルマ(形)を以て創らるゝものなり。それによってマテリヤは一類なりとても、ホルマ変はる時は、正體も全く変はるなり。

例えば、同じ木にて馬も牛も作ると雖も、変はるが故に馬は牛に在らず。これらの事を詳しく分別したきと思うに於ゐては、カテキズモ(教理学習)に載せたる事を読まるべし。

弟:第二のアルチイゴ、その御独り子、我らが御あるじゼズキリシトを信じ奉ると申すココロは如何に。
師:御あるじゼズキリシト、デウスにて御坐ます御所は、デウスパアデレと同じき御正體御智慧御勢力、一つとして変はり給ふ事無き、實の御独り子にて御坐ますと申すココロなり。

弟:デウス、何と樣に御子を生じ給ふぞ。もし陰陽驚囘の道を以てか。
師:デウス、御子を生じ給ふと聞き奉る時は、人間の業の樣に賤しく思うべからず。†スピリツアル(霊的)御體とて、色相を離れ給ゐし、要用の御體にて御坐ませばなり。デウス、御子を生じ給ふ事は、ナツウラの上なるスピリツアル、デウスの広大無辺のヱンテンヂメントを以て生じ給ふなり。この儀は、人間の薄き知恵には及ぶ処にあらず。

弟:譬えを以て、この儀を少々表し給ふ事適わずや。
師:及ばず乍ら一つの譬えを云ふべし。鏡に向かふ時は、我が影のそれに浮かぶが如く、御あるじ・デウスパアデレ御身の†ナツレザ(自然)、諸善萬徳共に御身のヱンテンヂメントに向ひ給ふ時、鏡に影の映るが如くに御身と萬事共に等しき†ススタンシヤ(実体)有る御方を映し出し給ふなり。これ即ちデウスヒイリヨ(神の子)と号し奉るなり。故に、デウスパアデレと同じきススタンシヤにて御坐ますなり。

キリスト


弟:第三のアルチイゴ、スピリツサントより宿され給ひて、ビルゼンマリヤより生れ給ふと申すココロは何たる事ぞ。
師:デウスパアデレの眞の御子にて御坐ます、デウスヒイリヨ(神の息子)。貴きビルゼンマリヤの御胎内に於ゐて、我らが肉体に変はらざる眞の色身と眞のアニマを受け合はせ給ひて、眞のヒトとなり給ふと雖も、デウスにて御坐ます御所は変はり給ふ事無く、何時も同じきデウスにて御坐ますなり。このビルゼンサンタマリヤより生れ給ふを、名付けてゼズキリシトと申し奉るなり。また、この御出世は、ヒトの仕業を以ての事にあらず。ただスピリツサントの御奇特を以て計らひ給ふ事なれば、スピリツサントより宿され給ふと申し奉るなり。同じく御母ビルゼン(乙女)も人間の所作を以て御懐妊なされざるが故に、御誕生の後とても元の如くのビルゼンにて御坐ますなり。

弟:第四のアルチイゴ、ポンシヨピラトが下に於ゐて呵責を受け堪え、クルスに架けられ死し給ひ、御棺に納められ給ふとは何たる事ぞ。
師:御あるじゼズキリシト、神にて御坐ます御所は呵責を受け堪え給ふ事も適ひ給はずと雖も、ヒトにて御坐ます御所はポンシヨピラトが守護なる時代に、御自由の上より一切人間の科を送り給はん爲にクルスに架けられ死し給ふと申すココロなり。

キリスト


弟:ヒトにて御坐ます所は何と樣に死し給ふぞ。
師:ヂビニダアデの御所は、御アニマにも御色體にも離れ給はず。ヒトとなり給ふ御所のアニマは御色身に離れ、死し給ひ御棺に納められ給ふと申す儀なり。

弟:デウスヒイリヨ、ヒトになり給ひ、人間の科に對せられてクルスに死し給ふ事は、何の故ぞや。この科を赦し給ふべき別の道無かりしや。
師:樣々有るべし。然りと雖も、このクルスの道は數多の道理によって、第一相応の道と選び取り給ふなり。

弟:その道理の内證、證を示し給へ。
師:まづ、我らに對せられての御大切の深き事を弁えさせ給はん爲なり。その故は、デウス、ヒトとなり給ひ死し給ふを以て、赦し給ふほどの御憤りなればなり。

三には、この御恩の深き所を案じ、その御礼を為し奉るべき爲なり。その故は、デウス斯程の御苦しみを堪え給はずして、ただ仮初めに赦し給ふに於ゐては、人々然りほど御恩をも見知り奉るまじきが故なり。
四には、デウスの†ジユスチシヤ(正義)の正しく坐す事。また、その科に、相当の苦諦深かるべし。知らしめ給はんが爲なり。
その故は、御あるじゼズキリシト、眞のデウスの御子にて坐せば、もう十ほど御科も御身に坐さずして、ただ我らが科を御身上に受け掛かり給ひて、種々樣々の呵責の品を尽くして御身に受け給ふによってなり。
五には、天狗は善惡の智慧の木の實を以て、我らが先祖を謀り済まし、また、一人の科を以て一切人間を我が進退に為したる如く、今御一人クルスの木に架かり給ふを以て、天魔張りを失ゐ、その上また、デウスヒイリヨ、†ウマナナツラ(人間性)を御身に纏ひ給ふを以て、一切衆生をかの狗兄の手より奪ゐ取り給ひ、自由解脱の身と為し給はん爲には、御身斯くなり給ふ事、最も中央の道なり。
彼と此との道理によって、デウスの御子、我らに對し給ひ、人間のナツウラを受け給ひ、死し給はんとの御内證にて御坐ませしなり。

キリスト


弟:第五のアルチイゴ、大地の底へ下り給ひ、三日目に蘇り給ふと云へる事は何たる御事ぞ。
師:御あるじゼズキリシト、クルスにて死し給へば、御アニマは大地の底へ下り給ふなり。昔の善人達、御あるじの御上天までは、天上せらるゝ事適はざるが故に、大地の底に於ゐてその御出世を待ち奉られし人々を召し上げ給はんが爲に、その所より下り給ひ、かの善人達のアニマをそれより召し出し給ふものなり。

キリスト


弟:御あるじゼズキリシトの御アニマの下り給ふ大地の底と云ふは、何たる所ぞ。
師:大地の底に四樣の処有り。

第一の底は、†インヘルノ(地獄)と云ひ、天狗を始めとして、モルタル科にて死したる罪人らの居る処なり。
二には、少しその上に†プルガトウリヨ(煉獄)とて、ガラサを離れずして死ぬるヒトのアニマ、現世にて果たさざる科送りの賠(つくの)ひをして、それよりグロウリヤに至るべき爲に、その間こめを借るゝ処有り。
三には、プルガトウリヨの上に童の†リンボ(古聖所)とて、バウチズモを受けずして、未だモルタル科を堕つる分別も無き内に死ぬる童の至る所なり。
四には、このリンボの上に†アブランノセヨ(アブラハムの懐)と云ふ処有り。この処に古来の善人ら御出世を待居奉られたる処に、御あるじゼズキリシト下り給ひ、かのサントスらのアニマをこの処より召し上げ給ふなり。

キリスト


弟:三日目に蘇り給ふとは何事ぞ。
師:†セスタヘリヤ(聖金曜日)に御入滅の時、貴き御アニマ、御色體を離れ給ひ、次の†ドミンゴ(日曜日)に御アニマ、御棺に納められ給ひし御死骸に蘇り給ひ、今天上に御坐ます如くなるグロウリヤと共に見え給ふと云へる事も、このアルチイゴに表るゝなり。

弟:第六のアルチイゴ、天に上り給ひ萬事叶ひ給ふデウスパアデレの御右に住し給ふと云ふ事は何たる事ぞ。
師:御あるじゼズキリシト蘇り給ひて後、ヒトにて御坐ます御體と共に天に上り給へば、御親デウス、諸々のベアト達のグロウリヤを一にしたるよりも尚、広大なるグロウリヤを與へ給ふと申す儀なり。

弟:何とて、御右に住し給ふとは申すぞ。デウスにも御右左と云ふ事有りや。
師:デウスパアデレ御色相備わり給はねば、御左右と申す事は無けれども、御あるじゼズキリシト、ヒトにて御坐ます御所に諸々のアンジヨ、諸々のベアトのグロウリヤに優りたるグロウリヤを與へ給ふによって、右を向上と用うる道理に任せ、是の如く申し奉るなり。

弟:第七のアルチイゴ、生死のヒトを糺し極め給はん爲に天下り給ふべしと云ふ事は、何たる仔細ぞ。
師:御あるじゼズキリシト、世界の終わりなる†ジュイゾ(審判)の日。一切の人間の所作を御糾明(ごきゅうめい)為されて、夫々に應じて不退の御返報を與へ給はん爲に、デウスにて御坐ます御所は云ふに及ばず、ヒトにて御坐ます御所も、並び無き御幾方を表し給ひて、天下り給ふべしと申す儀なり。

弟:第八のアルチイゴ、スピリツサント、また、サンタヱケレジヤ、カトウリカを信じ奉るとは何事ぞ。
師:このアルチイゴに二の事を示し給ふなり。

一には、スピリツサントはデウスパアデレ、ヒイリヨに代はり給はざる、御正體御智慧御勢力御善徳共に等しき格別のペルサウナにて御坐ます儀を信じ奉れとの事。
二には、カトウリカにて御坐ますサンタヱケレジヤの御事。このヱケレジヤとは、ゼズキリシトを信じ奉り、共に御教えを相伝し、表し奉る諸々のキリシタンの群衆を名付くる名なり。
この一味、世界の諸國に別れ至ると雖も、ただ一つの體なり。その†メンボロス(会員達)は、キリシタン一人づゝにて、頭はラウマ(ローマ)の貴き†パアパ(教皇)にて御坐ますなり。また、このヱケレジヤをカトウリカと申すココロは、全て各々キリシタンを含むと云ふココロなり。このヱケレジヤは、御あるじゼズキリシト宣ふ如く、スピリツサント備わり給ひて修め給ふが故に、†サンタ(聖なる)とも名付け奉るなり。
スピリツサント迷ゐ給ふ事御坐まさぬ如く、このヱケレジヤも迷ゐ給ふ事叶ひ給はざるなり。

弟:第九のアルチイゴ、サントスら通用し給ふとは何たる事ぞ。
師:各々キリシタン、このヱケレジヤの†メンボロ(会員)なれば、互ゐにヒイデス、サカラメントス(複数の秘蹟)の功力の通用有りと云ふココロなり。また、天に御坐すサントスらも、プルガトウリヨの人數も、このヱケレジヤのメンボロスなりしヒトなれば、これにも通用有りと申し奉るココロなり。その故は、御あるじゼズキリシト、並びにベアト達、その御取り合わせのオラシヨと、その御功力を我らに施し給ひ、また、我らがオラシヨも、弔ひの功力などをもプルガトウリヨのアニマに手向け奉る故なり。

弟:第十のアルチイゴ、科の御赦しとは何たる事ぞ。
師:バウチズモ、†ペニテンシヤ(悔悛)、その他のサカラメントスを以て、ガラサを與へ給ひ、科を赦し給ふによって、實の科の御赦しと云ふ事は、サンタヱケレジヤにのみ在りと申す儀なり。

弟:第十一のアルチイゴ、肉体の蘇るべき事とは何事ぞ。
師:世界の終はり、ジュイゾの日。一切人間のアニマ、インヘルノに墜ちたるも、†パライゾ(天国)に御坐ますベアト達も、残らず元の色身に蘇り、我が善によって蒙りたるアニマのグロウリヤを、現世にて合力と成りたる色身も共に受け、また、インヘルノに堕ちたるアニマの苦しみをも、科の合力と成りたる色體も、共に成らゆべしと云ふ儀なり。

インヘルノ(地獄)


弟:第十二のアルチイゴ、終はり無き一命とは、何たる事ぞ。
師:遍く蘇りたる†ジュイゾゼラル(総審判の日)の後は、人間二度死ぬる事有るまじきと云ふ事なり。但し善惡二の模樣は変はるべし。
その故は、†ゼンチヨ(異教徒)と惡しきキリシタンとは、終はり無くインヘルノの苦しみを受けて長らへ、ガラサにて果てたる善きキリシタンは、天に於ゐて楽しひを極めて不退の命を創り給ひし事も、御あるじゼズキリシトの御出世為され、死し給ひ蘇り給ふと云へる事をも見奉らず。

弟:その他ケレドに込もる世のアルチイゴをも見奉る事無ければ、何と樣に信じ奉るべきや。
師:これらの事は見たる事無しと雖も、デウスより告げ給ふによって、信ぜずして叶はぬ事なり。それによって、目を以て物を見るよりも、このヒイデスのアルチイゴス(数箇条)は、尚確かなる事なり。

弟:デウスより告げ給ふと云ふ事は、誰人の伝へぞや。
師:スピリツサントより導かれ給ふサンタヱケレジヤより、是の如く教え給ふなり。また、このサンタヱケレジヤ、スピリツサントより修められ給ふ事なれば、迷ゐ給ふ事少しも適はざるものなり。

第七 デウスの御掟の十のマンダメントスの事
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